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1910年代
メジャーになりつつあった映画制作会社からの制約や支配を嫌い、またニッケルオデオンで消費されるだけのショートフィルムに飽きたらずに新しい表現を求めた若い映画人達が西海岸に移住し、映画都市・ハリウッドが形成され始める。
アメリカの映画監督であるD・W・グリフィスが、『國民の創生』(1915年)、『イントレランス』(1916年)、
『散り行く花』(1919年)等により、クローズアップ等の様々な映画技法(映画文法とも呼ばれる)を発明し、今日的な意味における映画の原型を完成させる。このことによりグリフィスは後に「映画の父」と呼ばれるようになる。
政治権力は映画の持つ影響力に目を付け、プロパガンダの手段として使うようにもなった。
第一次世界大戦においてはアメリカやドイツでプロパガンダ作品が制作された。
ヴァイマル共和政下のドイツは複数の映画会社が合併して国策撮影所であるウーファー(UFA)が設営された。
1910年代-1920年代、アメリカやヨーロッパでは『ファントマ』シリーズや『吸血ギャング団』シリーズ(いずれもフランス)などの連続活劇が流行。
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